時代は変われど、真実は変わらない


つい先日、仕事中にカーラジオをいつものごとく聞きながら走っていると、ちょっと前に佐賀のがばいばあちゃんで、一躍脚光を浴びた島田洋七師匠が出ていた。
何のコーナーか忘れたが、がばいばあちゃんの言葉を紹介していて、中でも印象的で勇気づけられるものをご紹介。いま生きる我々は小難しく閉鎖的に生きすぎている!

人生を自分で小難しくしない・毎日を淡々と生ききる

ワタシも一頃よく考えましたっけな。「私の人生一体何だろう、なにがしたいんだろう?」という誰しも迷った時に必ず程陥りやすい人生のテーマ。

これは非常に自分自身を迷路に迷い込ませ、さらに自問自答させて結果的に悶々と答えが出ない一種のおまじない的な人生のテーマ。特に若いうちに人生とは何か、なんて考えても全く持って仕方のない事であると認識しよう。

人生経験もないし、視野も狭い、そんな時に人生を考えても答えなどそうそうに出るわけがない。そんな時にがばいばあちゃんはこう言ったそうな。

「ワタシの人生何だろう?」とか難しく生きるなよ。そんな事は終わりにしかわからんばい」

激動の時代を90年以上、苦労に生き抜いたばあちゃんでもわからん事が、たった20年や30年くらいしか生きていない我々若造が分かるわけがなし。

人生の経験値が圧倒的に足りないし、もしかしたら死んで初めて分かるのかもしれない、それくらいの課題なのだ。

人生の意味は後付けで。意味はあってないようなもの


そんな悶々とした中でどうやってこれから生きていったら良いだろうか。ここでもばあちゃんは痛快な言葉を残している。「人生は死ぬまでの暇つぶしやから。暇つぶしには仕事が一番ええ」と言ったという。

確かにワタシたちは、人生に意味とか生きがいとか、柱になるようなものを求めすぎているのかもしれない。人生にそもそも意味って無いのだ。ただ淡々と生き抜く事こそ、あるべき姿の生(せい)と言える。

ばあちゃんは、だからこそ暇つぶしくらいに生きたらええよ、と言ったのかもしれない。そんな中で何をするかというなら、世の為にも人の為にもなる仕事をすることが一番ばい、って言いたかったのかなと思う。

どうあれど、毎日熱中できるものがあるって、当たり前のようで当たり前ではないし、実は非常に恵まれた状況なのだとも言える。

人生の意味なんて後付けで良いんだなって教えてくれたような、そんなばあちゃんの言葉です。

迷った時はコレを思い出せ!

人はまず働け。働いたら、米・味噌・しょうゆ・油、そして友達と信頼が付いてくる。