国民病?ともいうべきなのか、お金と幸せの関係


以前に「お金がないと恋愛出来ないのか」という記事を作成すると、非常に大きな反響を呼びました。そこからの延長線上で、幸せになること自体も「お金がないと」そもそも幸せになることは出来ないのか、という漠然とした類似の疑問を考えてみます。

乗り手(あなた)の手綱次第で、人はどこにでも翔べる


お金がないと幸せになれないのか、と問われればやはり物質的な幸せは「お金」の有無でかなりの違いは出てきてしまうでしょう。しかし、物質的幸せを満足すると人は心の充足感、心がどれだけ満たされているかを求めようとします。

面白いもので、自分が足りてない物を人は探すのがとても上手いようで、その不足を埋めようとしてしまうのです。だから、いつも満たされないという欲求に、私たちはどこか漠然と駆られているとも言えるのです。

お金がなくても幸せにはなると思えばなれるし、漠然と不足だけを追い求めれば人はそうそう簡単には幸せにはなれないよ、とも言えるのです。

価値観を定める、物質的な幸福はごく一時的なもの


お金が無くとも、幸せにはなれます。ただし、自分の今の考え方=マインドをリセットしてあなたは、どこに幸せの価値観を抱くかで全てが変わってくる、といっても過言ではありま
せん。

物質的な幸せを得て感じる幸せなら、お金を今よりもより多く得る手段を考えれば良いだけのこと。

しかし、それだけでは幸せを感じられないと言うなら、現状を見回してコレなら満足できる、充足できるというものを一つでも探してみる事から始まります。

代表的なのは、漠然と不満を感じてはいるけど、衣食住問題なく暮らせているし、健康面も大きな支障などなく毎日無事に過ごせている事など、実は「当たり前だ」と考えている事は何一つ「当たり前ではない」事を、私たちはまず思い知る事が最重要だと言い切れます。

そう、いまこうやって文章を綴るワタシも、当たり前のようにブログを書く事も全て、当たり前ではないのです。

当たり前は当たり前でないという厳然たる事実


身体が調子が悪かったり、動けなくなったり、心があまりにも沈んで病んでしまったり、など何気ない日常の動作一つとっても、「当たり前」はありえないということ。

どれか一つ欠けても、今のようには動けないし、進めないという事を私たちは知るべきです。満たされている時ほど、はるか上を見て足元を見失う。物質的に恵まれてなかったとしても、身体は満足だ!と言えれば、それでも人は幸せになれます。

足りる事を知れば私たちは、お金がないと幸せになれないのか、という疑問すらも消え失せてしまうのです。欲望と幸福は全く別物だということ。

いまこの瞬間「自分は本当に、心底幸せだ」と思い、感じる事が出来れば人はお金がなくとも、十二分に幸せになる事が出来るのです。