人それぞれ意味が違う?不思議な言葉


よく巷でライフワークという言葉を聞くようになった。「~は私のライフワークである」とか色々な使い方と人によって幅広い意味・定義を持っている不思議な言葉だと思う。

作家の本田健氏は自らの著書で「ライフワークとは、自分のなかにある《幸せの源泉》から湧き出る情熱を使って自分らしさを表現し、まわりと分かち合う生き方」と述べているが、今一つ分かりにくい気がした。

よく聞くし使われているのに分かりにくい。何だろう、あなたの・ワタシのライフワークってなに?

得意な事と天職とは必ずしもイコールではない


造語でもないのだろうが、そもそもはワタシは「天職」というような意味合いで用いるのかと思っていました。

もう少し掘り下げると「人が生涯の仕事として人生を捧げたテーマ」とも調べると出てきます。

ワタシはある時に、本田健さんの著書にてライフワークという言葉を気にするようになって、自分のライフワークに値するものって何だろう?と考えるようになった。

ただ毎日なんとな~く日常の仕事して、それは今はクルマに関わる仕事をずっとしてきているが、果たしてそれはライフワークになるのだろうか?

周囲と喜びとか分かち合うとかいう内容の仕事をしている訳でもなし、なかなか意味を考えれば考えるほど分からなくなる。

さらに調べてみると、もっとシンプルに考えて良さそうで「一生かけてやりたいこと」という意味で言葉が出てきて、少し理解出来てました。

売れようが売れまいが一生やりたい事がライフワーク


その昔「三宅裕司のいかすバンド天国」→通称・イカ天という番組があった。

深夜番組なのになぜか当時は子供だったのに知っているが不思議だが(笑、それはともかくとして、そこにすい星の如く登場し14代目イカ天キングになった「たま」というバンドがいた。

これまた個性的すぎるバンドで「さよなら人類」という曲で世の中を一躍賑わし今でもワタシ的に非常に記憶に深く刺さる。

その異色バンドのボーカル・主にパーカッションを担当していた、ランニングシャツがトレードマークの石川浩司さんは、あるインタビューで語っていたことがとても印象的だ。(↑写真・一番右のランニングシャツの方が石川さん)

まだ大ヒットするずっと前でご自身のバンド活動に対して当時思っていたことへの部分を以下引用↓↓

「お金になる仕事」という意味ではなく、音楽をすることが、自分の「ライフワーク」だったんだよね。だから、極端に言えば、「たとえ売れなくても一生やる」という意識は強かったな。それが自分にあるかどうかじゃないかな。つまるところは。ウヒョヒョヒョヒョッ! 

損得勘定抜きでそれでもやり続けたい


石川さんの発言を一部抜粋しこの記事を読んだ時、ライフワークの意味合いが一つの覚悟のように思えた。

もちろん、好きな事で売れてお金もたくさん入ってきた!という展開は誰にせよ一番望ましい事だが、必ずしも全員が報われたり評価されるとは限らないのが世の中だ。

それでも、自分の好きな事がやれてるわけだしどうあれど続けたい!という気持ち・覚悟があれば、石川さんのように「音楽は俺のライフワーク」と堂々と言えるのではないだろうか。

売れようが売れまいが、俺は音楽が好きだから一生やり続ける!そんな意味合いが込められているのだと思う。

音楽を続ける事そのものが俺の生活の一部であり、生きる事であるとも換言出来る。

そう考えると、ライフワークとは自分の好きな事における運命的とでも言うべきものを背負っているのかもしれない。

一連の石川浩司さんの発言を何気なく目にして、納得できたことがとても多かった。

でもね、家族や周囲に苦労を背をわせちゃアカン


でも、一つだけ例外に感じる事があって、もし自分が養うべき家族がいるなら、家族の理解と家族が困らない位の収入がないとそのライフワークは厳しいと感じる。

子供がいたり何かとお金も掛かるという位だと自分だけの話では済まなく、もはや夢を語る事や貫くことそのものが独善的と成りかねない。

せめて奥さんだけならともかく、夢だけを貫くことで誰かにしわ寄せが行く事や不幸になりかねない事態は最大限避けたい。

独りよがりではなく、周囲も含め幸せになれるべくライフワークを構築したいものだ。