学生による記者会見を見て思うこと


先ほど、丁度(5月22日午後3時)日大・アメフト部のラフプレー問題で、当の加害側選手の記者会見が行われていました。

午後の休憩を取りながら会見を見ていましたが、非常に日本的な組織としての問題点が浮き彫りにされた根の深い内容であると思いました。

今回は日大アメフト部でこのような問題が起きましたが、本質的には日本の組織社会に置いてかなり似た状況の部分があるのかと思います。

どこの組織でも起こり得る危険な状態であると考えられるので、これは人ごとのようには思えません、この一件とかなり類似した状況を見てたり、実際に経験もしたから余計に憤りを感じます。

指揮官の神格化は異常体質の象徴と言える


記者会見の内容や、日大アメフト部の一連の問題に付いては報道などでもより詳しく知る事が出来るので、そのあたりの細かい部分は書きませんが、ワタシが感じた問題点を挙げてみたいと思います。

ある意味で、今回の問題は日本の組織社会に置いても共通される危険個所であることは間違いありません。

日大アメフト部だけの問題ではなく、他の学校・または会社などでも起こり得ているからです。

まず、権力が必要以上に特定の人間に集中しすぎて、誰も意見できなくなっている、いわば監督=指揮官が神格化している事がまず問題視されます。

必要以上に権力が集中すると実質的に独裁状態となり、自浄作用がまるで無くなります。

本来なら正すべき所でも、神格化した指揮官の一声で全ての判断がひっくり返る状態を指します。

正しい方向へ向かっているならば問題にはなりませんが、こういった組織ほどトップ自らの都合主義だけで動き出すので、とてもではないですが善悪の判断すらつかない状態になっていると言わざるを得ません。

こういう状態は、一般的な会社のより細分化した部署・部課などでも起こり得ているのです。

間違った指揮官を正す事の出来ない組織は、必ずや大きなツケを払わざるを得ない状況になるのです。

その裏には、必ず誰かしらが泣きを見ている、誰しもが幸せになれる状態とは程遠く、組織や特定の個人に対し強烈な恨みや因縁を持つことにもなります。

そんな組織で、どうやって最残の仕事・チームプレイ・勝利を勝ち取る事が出来るのでしょうか。自ら律する事の出来なくなった組織の末路だと言わざるを得ない状態です。

茨の道でもアメフトの道をあえて歩み続けて欲しい


今日会見を行った加害側の日大選手は、自分はもはやアメフトを続ける権利もつもりもないと自らを断罪していた。

今はそういっ心境でも、彼のような強烈な苦労やこの体験を経験した人物にこそ、アメフトという道で組織のトップとして・指導者として歩き続けてもらいたいなと感じる。

これだけの騒動となり、とてもではないがアメフトの事など全く考えられない状態であっても、しばらく無になり自分を再び立ち上がらせてからでも、この厳しい経験を活かしてほしい。

こういった厳しい経験をした人物こそが指揮官になれば、必ず組織は自浄作用を取り戻せると言える。

自分がしたようなあんな苦渋の経験を、前途明るい選手・学生たちにさせるわけには行かないという強固な思いは、この彼にしか分からないものがあるはずだ。

また自分が監督・コーチにされてきた仕打ちを絶対にさせないためにも、反面教師としてこれらの人物の振る舞いを苦い教訓として現場で使って欲しいと強く思う。

一度、どん底まで突き落とされ地面を見つめた人間こそ、組織のトップに立つべきなのである。

人間は簡単に他人の痛みなんてものは分からない。痛みが分かる人物が指導者になるべきだと強く感じた。

一刀両断、老兵はただ消え去るのみ


今回の事の元凶である「監督」とそのコーチ陣は日大から去るべきなのは言うまでもないが、そんな人物らにも初心を思い起こしてもらいたい。

権力が集中しすぎて、自身へ媚びへつらう人間が周りに増えていった分だけ、それを自分の「力」と勘違いしていったのだろう。

正しい判断の見境が付かなくなると人は「好き嫌い・選り好みで」より人を分別するようになる。

今回の一連の騒動の原因は、監督の気分次第・気まぐれから起因する「完全な好き嫌い人事」が全ての発端であるのは言うまでも無いからだ。

コーチ陣でさえも駒にしか見ておらず、人間を人間として見ていなかった証拠が今回の一連の事件の「元凶」と言うべきではないだろうか。

どこの組織でも起こり得る問題であり、今回の一連の事は日本の組織社会の問題点としての縮図と言わざるを得ない。

まず日大の身内やOBが声を大にして立ち上がり、自浄する=リコールする程の実力行使をしない限り何も変わらない。

トップとその首脳陣をそっくりそのまま刷新する以外にかつての名門復活の道はない。