生きにくい時代と言うけれど実際はどうなのさ?


不遇な時代、生きににくい時代、感動が少ない時代、などと悲観的に形容されがちな現代社会ではあるが、モノも金も政治・経済など総じて「まあまあ」満たされている。

そのせいか、どこか感動が少ないというのは事実なようだ。そんな所からなのか、漠然と生きにくい現代社会だとか不遇な時代とも言われてしまう。

今現在を過ごすワタシたち的に、今というのはそんなに悲観されるものなのだろうか?生きにくい不遇の時代なのだろうか?改めて考えて見た。

対価・評価は後から自ずとついてくると理解せよ


働いても頑張ってもなかなか評価されないと言われてはいるが、果たして本当にそうなのだろうか。

組織においては、ワタシも半分は会社組織で昼間は働く人間なので、何となく評価されにくいのかなというのは感じざるを得ない。

昇給も昇進も早々に行われるわけでもないし、上は上でフン詰まり状態でなかなか動かない。

ならば今現時点での自分の仕事に集中して最高の出来にするしかない、それがベストを尽くすという意味でもワタシたちがやるべき事なのだ。

給料も上がらないし、やる気も出ないし、ワタシたちは評価にとらわれ過ぎているのかもしれないし、何かに見返りを求めすぎているのかもしれない。

頑張ろうが頑張るまいが、今自分がやるべき仕事をもらったら、最善を尽くすのがそもそも当たり前な事なのだ。

評価されないのはおかしい!と嘆くより、それが普通なのであり、出来て当たり前だからその仕事を頼んでくれる人がいるわけだ。

そこにあまりに捉われぎると、評価されないと感じてしまう傾向は非常に強いと言える。

ワタシたちは求めすぎてるから生きにくくなっているのかもしれない。

いわば、自分で迷路に迷い込んでいる状態とも言えるのではないだろうか。

日本は平和・だからこそ刺激を求めがち傾向だ


何かを必要以上に求めなければ現代社会は生きにくい・不遇な時代とは無縁な時代が到来していると言えるのではないか。

衣食住はふつうにしていれば困る事はないし、仕事も今や求人倍率はどんどん上昇中~ワタシが就職した十数年前よりよほどラクになっている。

だから、必要以上にワタシたちが困る事もなくて、かといってアレも欲しい、コレも欲しいとする必要性もない。

評価されたいと思っても、それは相手や世間が決めること。

やるべき事やっていれば、人と人の付き合いなら必然的に信用は上がっていくし、その積み重ねがたまった時に人は初めて評価されたり、形として出世や昇給が加わるのだ。

求めれば求めるほど苦しくなり自分の足りないものばかりに目が行くようになってしまう。

でも、それが人間だ。

ならば、望むよりベストを尽くす・やるべき課題に集中すれば、あとは遅かれ早かれの世界で結果は必然とついてくるのではないだろうか。

漠然とした不安を打ち消し不遇な時代を生き抜く!


これはもうシンプルにひと言で決めましょうぞ。

今に集中!ベストを尽くせ

これ以上、これ以下も考えられない。