人生の時間に限りあり、傍観者と決別する勇気


ワタシの好きな文筆家の千田拓哉さんの著書の中で、「人生という土俵において、傍観者が勝つことはない」という言葉があります。

これ結構好きな言葉で、ワタシは平たく「人生はやったもん勝ち」と勝手に変換・解釈してます。

座右の銘とまでいかないけど、ちょっと落ち込んだりブログなどでも筆が進まない時は、思い出しながら執筆しています。

そもそも考えて見ると、傍観者とはどんな人たちの事を言うのだろうか?

実態のない批判を生み出す傍観者とはいったい何者なのだろうか、ふと考えました。

根拠なき批判に惑わされず、自分の明確な基準を持て!


傍観者ってどういう人の事を言うのでしょうか。読んで字のごとく「傍らで観ているだけの者」と理解して構いません。

集団心理の一つで自ら率先して行動を起こさない心理である、と定義されています。

会社など組織においても結構いますよね、傍らで観てるだけで何もしないでうわさ話だけで盛り上がる一定集団の事です。

千田氏はこういった人たちは、人生において勝つことはまずないと述べています。

夢や目標に向かって一生懸命に夢中に走る人を批判するのは傍観者である何よりの証拠であり、そこにいない誰かの噂話や批判を繰り返す、非生産的な行為にひた走るのが特徴とも言えます。

傍観者の最大の特徴は、自分は一切「動かず」しいて動かすのは口先だけで後は一切なにもしません。

そんな人々から出る批判にどんな意味があるのか、甚だ疑問がつきることはありません。

他人に迷惑をかけているならともかく、自分の「限りある」人生をひた走り続ける人を批判する資格はどこにもなく、何を根拠に批判しているのかも分からない事が多いのです。

深く絡まる負の人間模様に、そこから勝ち上がるにはどうしたら良いのでしょうか。

群れから飛び立ち孤高の存在へ!その先に新たな仲間が待つ


実体験から考えてみても「おかしいな?」と感じた場所からは即座に抜け出すことが一番早いと言えます。

ここでみなと一緒にいない人の話で笑って陰口を言っても、人生時間を無駄にするだけで結果として自分自身には何も残りません。

いかに、そのような群れから飛び出す必要性があるのか、そこも問われてきます。

人生という何も記されていない白地図を、いかに自分で描き自分の色を出し切るかは何よりも自分自身に掛かっています。

くだらない群れに染まるより、くだらないと思われても自分色に染まる方が、どれだけ自分の人生を歩いていると言えるでしょうか。

たった一度の人生を傍観者の実態のない発言に惑わされず、いかに自分の人生を生き抜くかに掛かっていると言えます。

群れから飛び出し自分の戦うべき土俵に立つ事こそ、全ての始まりの合図と言えるのではないでしょうか。

そこに立たない限り勝つも負けるもあるわけがなく、だから傍観者が人生で勝つことはないのです。

まとめ


根拠のない発言の傍観者に振り回されないため、その群れから飛び出すと限りない広い世界があるのは間違いありません。

自分の人生に責任が取れるのは、自分自身の考えとその行動に全てが掛かっています。

傍観者の言動の1つ1つは何ら責任のないものばかりという観点で観ても、千田氏の言うように少なからず傍観者が人生の勝者となる事はあり得ないと言えるのです。

人生時間は有限なり。

自分の好きな所へ行き、好きなように飛び立ち、最後まで自分の人生を生き抜こう。

人生も時に道路交通法が適用される


人生においても、安全確認をしっかり行った上での

一時停止と方向変換は極めて有効だ。