くじにより人生の進路や大金を入手する恐ろしさ!?

プロ野球のドラフト会議が昨日行われました。

抽選・くじという形式で自分の所属球団がほぼ決まるといっても過言ではない、そんな重要な一番だけ当事者とするととてつもない緊張はあると言えるでしょう。

今は逆指名制度も無いようなので、それこそ自分で意思決定を行って球団を選べる時代ではなくなったので、より抽選・くじの重みが増すというものです。

先に紹介したアメリカの宝くじ、繰越金が1800億円という記事を先日送りましたが、ついにその当選者が出た模様です。

まだ当選者は名乗りを挙げていないそうですが、もしかしたら気がついていないそんな恐れもあるかもしれません。

当選確率も三億分の一ともなれば、まずそうそうに当たるとは言い難い確率の宝くじとなります。

くじを購入しない限りは三億分の一どころか、一生かかってどう逆立ちした所でも当たりませんので、その比は三億分の一どころではないでしょう。

その当選を報じたラジオのパーソナリティが何気なく言っていましたが、1800億円の当選ともなる本当にその人が幸せになりうる金額なのだろうかというような疑問です。

当たった人にしか分かり得ない世界ではあるでしょうが、それによって出てしまった要らない出会いなども当然出てくるでしょう。

怪しい投資の勧誘、訳の分からん金融団体からの謎のラブコール、こんなのはザラにあり得ます。

そういった意味合いで、ささやかな幸せを感じるリアルな当選金ってどれくらいなのだろうか?と感じます。

あくまで創造の範囲ですが、四桁の一千万円以上とかというよりも、200~300万円くらいの金額がリアルな幸せを運んでくれそうな気もしました。

自動車の新車一台分くらいの価格だろうか。

家を買うには足りない、もちろん頭金の足しにというならあり得ますが、ちょっと何か良い思いをして使い果たすくらいの金額と言えましょうか。

どれくらいで幸せを感じるか、なんてのは人それぞれ誤差は生じると思います。

絶対にこの金額だ!とかは無いでしょうが、それでも人を幸運にしたり不幸にしたりというまとまったお金の存在というのはあるのだと感じました。

あらためて思うに、お金の存在たるや未だにどういうものなのか分からなくなります。

まあ、無理に分かろうとしなくとも&分からなくても良いのか、とも思ったりもしています。

よく分からないなりの現時点での結論としては、自分のやれること、やりたいこと、やるべきことで今を過ごす事こそベター、もしくはベストな進み方なのかと理解しています。

お金もしかり、幸せもしかり様々な価値観は存在するので、それら一つ一つに翻弄されない生き方こそ求められるのかなと痛感しうる、そんな今日この頃でした。

結果として思った事とは何か?

何名かの方のブログをよく読んでいます。

ハッキリと感じた訳ではないけど言い回しは違えど、みな似たような事を大なり小なり感じているのだと思いました。

今という時代が幸せなのか、そうではないのか。

満たされているようで、満たされていないようなこの現実感に。

長い歴史を紐解けば、戦争で生きるか死ぬかの瀬戸際の時代も長く存在したけど、そういった激動の時代でも楽しい事はあったと聞きます。

今がどこか満たされないという感覚は当然ながらあったとしても、それは「甘い」と言われるでしょう。

心底自身が「楽しい」と感じる事さえ出来れば、どんな激動の時代でも楽しく、そしてわずかな所からでも希望を持つことが出来るのでした。