山田ルイ53世が語る・多感な時期の引きこもりはムダ

中学校時代に引きこもりになってしまい、そこから約6年間動けず苦労したという放送を明け方のNHK放送で聞きました。

その声の主はお笑いコンビ・髭男爵でお馴染みのルネッサンスこと山田ルイ53世氏の語り口でした。

明け方4時台にAMラジオの低いトーンで聞く山田さんの、引きこもり時代はムダだったと語る内容に聞き入ってしまいました。

誰しも人生にはまわり道する事もあると思いますが、その期間は後になり自分の成長に後々考えれば必要な事だった、と言われることは少なくありません。

山田さんのようにバッサリと「中学~高校時代など人生で一番多感な時期を引きこもりで過ごしたのはムダだった」という回答にとても驚きました。

一番苦労した時期をムダだったと言える事は率直に凄い思い切った発言だなと思います。

誰しも、苦い過去はどうにかして少しでも美化したいと思うものですが、多感な時期に動くことが出来なかった山田さんの回答には、一つの真実があるように見えます。

ワタシ自身も節目の30歳の誕生日を迎えた時は、前職を辞めて新しい事に取り組もうとした時に暗礁に乗り上げた、途方にくれたウン年前が脳裏を過ります。

引きこもりとは言わずとも、あの「何がしたいか分からなくなった30歳」からの一年間はワタシにとってムダだったか?

そう考えれば、山田さんのようにキッパリと無駄だったと言えるかと言えば、間違いなく「言えない」と答えるだろう。

人生におけるまわり道とは何を意味するのか?

全ての事に意味があるわけではない!という考え方

芸風の時の山田ルイ53世さんのトーンと違い、独特の太い声で語る人生の苦い経験は非常に説得力のある過去の振り返りでした。

まわり道はときに、その道こそが結果的に最短距離のルートでもあるのだ、と示す見解もあると思う。

しかし、山田さんの言うようにまわり道を含めて、全ての事に意味があるわけではない。

結果として歩んだまわり道にどのような色を付け、意味を求めるかはそれは自分次第であるとも言えます。

かといえ、意味がある事が全てなわけではない、というのも人生の一つの側面であるということ。

それゆえに、あの時期はムダだったとハッキリと言える山田さんは、苦労を多くしてきたけど、その口調たるはなんとも清々しい反面もあるのだなと感じました。

自分はどうだったのか?過去を振り返る

30歳当時をしいて今振り返るならば、完全な準備不足があったように思える。

何か新しい事を始めようとするにしては、下地を整える部分が自分には明らかに不足していたと言えます。

客観的に評価できる点としては、果敢に新しい分野に飛び込んでいこうとするその行動たるや良し、と言える面もありました。

いつの世も「備えあれば憂いなし」の言葉がどこか光るように、何事をするに始めるにも準備が八割、いや九割をを占めているのではないかと今でも思ってます。

あの30歳を振り返ると、無駄ではなかったとは思うが、有効に過ごす事が出来たかと言えば出来なかったと言わざるを得ません。

そうとはいえ、どのみちあのまま前職であったバス乗務員をずっと続けられていたかどうかはまた疑問である。

今になり思えば人生における最初の過渡期は、ワタシにとって30歳前後だったのだと言える。

まとめ

全ての事に意味は無くても良い。

意味がないと言える時期を過ごすのも、また人生の一つの側面である。

後々になって、

そんな時代もあったねと、いつか話せる日が来るかもしれないし、

あんな時代もあったねと、きっと笑って話せるかもしれない。

上記のドンピシャの歌詞が中島みゆきさんの「時代」という歌に刻まれている事を思い出し鼻歌を交えつつ

まだ闇夜も深い明け方4時のNHKラジオを拝聴しながら、

けたたましく鳴る朝予約の無線を拾うのでありましたとさ。

まわる、まわるよ、時代はまわる~