ふと脳裏によぎる、おれは人生何回目?の問い

ウソかホントかと、そういったレベルの話ではないのですが、ふと思う事が度々あります。

「この人は生まれ変わって何回目の人だろう?」ということ。

何か急にスピリチュアルの話を始めるのか?と思われるかもしれないけど、広い世の中を見回してみて連日報道されるテレビなどのメディアなどでも、そう感じる事実はたくさん放映されている。

ふとした所からの疑問点、あなたは人生何回目ですか?

文化・芸能・スポーツ・ビジネス、才能の片鱗とは

先日、日本人初のNBA(バスケット)にドラフト1巡目指名が掛かるという大きなニュースがありました。

八村塁選手もその一人ではないだろうか。もちろん、幼少の頃からバスケットに親しみ本人の人並み以上の努力があって今のポジションを掴み得たのは言うまでもない。

その彼も少年時代に既に当時の恩師に「キミはNBAの選手になれる」って言われていたそうだ。それくらい、少年期に既にバスケの才能に恵まれていたとも言える。

スポーツ界だけではなく、芸能の世界でもそのような例は見受けられる。先日亡くなられたジャニー喜多川さんもその一人ではないだろうか。

その子を見ただけで将来が分かる、この子は相当いいな・伸びるなと感じるそうだ。いわゆる、目利きであり選球眼とも言える。

理屈は抜きで、その人にしか分からない、到底真似できない圧倒的な見極める力、目利きがそこに存在したのだと言える。

もちろん、ステージに上がる当の本人たちにもアイドルとしての才能や努力がなければ活躍し続ける事は難しいだろう。

そういった努力は根底にありつつ、それ以上に、いやそれ以前にもっと何か大きな力が動いているような気がしてならない、とよくワタシは感じる。

今回の自分の人生をどれだけ努力して身を粉にしても、この人には絶対に足元にも及ばないな、と感じるのは先に挙げたお二人のような力を持つ人たちだ。

その人にしか分からない・見えない世界があり、それを実行し続けたからリアルの世界での大きな成功がある。

その世界に足を踏み入れた事があるわけもないので、ワタシには到底分かり得ない世界なのだが、少しだけ分かる部分があって、もしかしてこういう感覚的な事なのかな?という事がある。

例えが小さすぎて恐縮ながら、ワタシの仕事でいうタクシーの業務で、街中を走っている時に何となく「あ、あの人多分乗るな(手・上がるな)」と直感的に感じることがあります。

もちろん、いつもではないけど集中力が研ぎ澄まされている時に、そういう見極めって出やすいように思えます。

そのように自分で感じられた時は、やはり思うようにスッと手を上げてくれるお客さんは多いし、そういうの感じる時ってどういう状況なのかと言えば、大抵は今までの「経験則」からくる。

そこに根拠はなくて「なんとなく、この人乗るな」という直感的なもの。

はたから見れば、単なる街の通行人かもしれないけど、何となく乗るなと直感的に感じた時はやはり乗ってもらえる確率が高い。

さらに鼻が利くようになれば、過去のデータと絡み合わせここにお客さんがいると、人間魚群探知機のようなレーダーを持つすご腕もいる。

ともあれ、この世で大きな事を成し遂げた人は、そういう直感的な大きな才能が秘められているのだと感じる。

そういった能力に年齢とか関係なくて、ある人にはそもそも生まれた時から備わっている能力なのだと思います。

そういう所を冷静に見ていると「あ、この人は今回で人生何回目なんだろう?」とふと思ってしまうわけで。

過去の人生の積み重ね、その能力が何回も何十回も、もしかしたら何百万回も生まれ変わりながら磨き抜かれた能力が、一気に今回の人生で発揮されたからこそ、圧倒的な目覚ましい成果を上げられるのかな、と思った次第でした。

「生きてるだけで丸儲け」の意味を考えてみた

そういった華々しく活躍する人を見るとすごいなと思う反面、色んな学術的な本などにも書かれているけど、人間がこの世に生まれる確率だってものすごい天文学的な数字である事には変わりない。

自分の祖先が、戦乱の時代も大恐慌の時代も数百年~数千年と生き抜いてきたからこそ、今の自分がここにいる訳である。

そのどれか一つでも欠けていたり違っていたとしても、自分はここで今こうやって何の変哲もないブログを書く事は出来なかっただろう。

喜怒哀楽を感じつつ、今の自分の状況を憂いていても、とんでもない天文学的な確率で今の自分が存在している事実を思い起こすと、ほんのちょっとだけでも元気が出てこないだろうか。

信じるか信じないか、とは置いておき。自分は過去に占いが得意の方に見てもらった時に言われた事は「あなたの魂は真新しい、今回初めてだね」って言われたことがある。

要するに、人生一回目だそうです。

今回の人生は漢字で言うなら「義」であって、物事の道理・意味・意義など幅広く人生を学ぶという事に義があるそうです。

もちろん、占いなので捉え方はあなた次第ではありますが、根拠はないけど自分もなーんとなく人生一回目な気がしています。

活躍するもせずとも、毎日を生きる事がその意味であり学びでありの人生だと仮定する。

そう思うと、超人的な才能を発揮して世に名を残すような人たちを見ても、なんら不公平にも不思議にも思えないような気がしてくるのでした。

いま、自分の状況に悶々と嘆き苦しんでいたとしても「生きてるだけで丸儲け」といった、明石家さんまさんの言葉の通りなのかもしれません。

恐るべき天文学的確率の上でワタシたちは生きて、生かされているという事実を。

ナショナルジオグラフィックやNHKあたりがそのあたり、生物学を絡め詳しく放映してくれるのではないでしょうか(笑。

いっそのこと、そうだと信じた方が毎日楽しいだろうなと思う今日この頃の更新でした。