参照記事~勝ち組が威張る同窓会も60歳過ぎたら「ただの人」

↑ なかなか面白いと思ったので、ちょっと読み入ってしまいました。

ワタシ個人的には、同窓会というものにあまり縁が無くて参加した回数は過去に一回くらい?だったように思う。

興味があり、機会があればまた行ってみたいな、くらいな意思はあるけれど、その自分のいた学年などに積極的なメンツと幅広くみんなと連絡取れるような人物がいないとなかなか成立しない。

ともあれ、30代ともなれば記事にあるようにある種の今の自分をよく見せようとする自慢大会?のようなものは大いにあり得ると思う。

学生時代には分からなかったけど、意外とアイツは見栄っ張りだったとか、見せなかった一面、また社会に出て目覚めた?とでもいうべき部分は出てくるのは不思議ではない。

今の自分と成功している同級生を比較してみじめになったり、そういう事も見受けられるようですが、もっともあり得るけれどあとは受け手である自分自身の問題でもあると思う。

その当時を知るがゆえに、あの時のアイツは、彼は、あの子はどうしてるかな?という純粋な考え方と受け止め方次第ではなかろうか。

見栄や自分をよく見せようとする欲があると、どうしても無意識に自分を自分以上に見せようとしてしまい、必要以上に鼓舞してしまう傾向があるからこそ、記事にあるような勝ち組・負け組という概念が存在してしまうのかもしれない。

素直にお前さん頑張ったな、立派になったな、成功したんだな、と感慨深く見守ると言うのか、一歩引いて先生が教え子をあたかも見守るような視点を持つと、純粋に素直に人の成功が喜べるかもしれない。

ただ、人と比較して一時的に自分を鼓舞しても自分が本当にやりたい事、心からやってみたい事をやらない限りなかなか自分の生き方をコントロール出来ているとは言えない、というのはあるだろう。

キッカケにするのはいいかもしれないが、そういった類の情熱の火はそこまで長く続かないのが一つの特徴だろうか。

かつてのワタシも、モテたいが為にダイエットを敢行したものの、結局のところ三日坊主・よくて一週間坊主?だった事もザラだ。

心底コレだ!という強い強い動機がないと、または何らかの事情で追い込まれないと人間という生き物はそこまで動けないような特性を持っているのかもしれない。

仕事上もあり、日中は60歳以降とみられるお客さんをお乗せする機会が非常に多い。

土地柄もあってか、お金持ってそうなご高齢の方を見たりお話しする限りやはり口にするのは健康の事についてよく耳にする。

ひざが悪い、股関節が悪い、ちょっと歩くだけでも息ぎれして家までとても帰れそうも無いからタクシーに乗ってるとストレートに伺う。

そういったご意見を日常的に聴くと、やはりお金のあるなしに関わらず「健康」こそ最大の財産かもしれない、とふと思った。

そこをもってして、何が勝ちも負けもあるものだろうか、とも感じる。

一つ彼らの意見を吸い上げると、若い頃の無茶は年とってから確実にかえってくるということ。

健康管理は、日常を持ってして気を付けなさいというものだった。かくいうワタシも、20代~30代前半は酒・肉食・油もの・ラーメンなど夜な夜な食って食道楽と化していた。

案の定、それらが病気にもなり青ざめて慌てて自分の健康管理・食生活を見直す。

そう、悪くなってからじゃ遅い。しかし、人間は痛い目を見ないと学ばない生き物だ。

だからこそ、悪くなる前から悪くなった人の手痛い経験談として真に受けて捉えて頂きたい。

一度、失った健康は簡単には取り戻せないし、症状によってはいくらお金を積んでも当然ながら取り戻せない。

だからこそ、昼間の人生ベテラン領域のお客さんが言うように「最後は健康だ」という意見にたどり着く。

健康で人生の晩年迎えられているならばそれこそが、あえてこの言葉を用いるとするなら本当の意味での「勝ち組」に相当するのではないだろうか。

どうあれ、人生に勝ちも負けもなく結局みんな同じ一人の「人」という厳然たる事実に変わりはない。

まとめ

健康の基本は、一にも二にも食事といくらかの運動。

このバランスこそが全てであると一回体調を崩してみて大いに痛感しました。

地位も名誉もお金・財産もあの世には結局持っていけない。

勝ちも負けもないって。

と、人生のベテランの方々の意見を伺って思ったのでありました。