退院している間の生活というのは、当然ながら病院のパターンに良い意味での縛りがあるので窮屈に感じる。それは仕方のない事だ、身体を治しに来てるから。退院後の生活は、ある程度の制限はあれど時間などは終日フリー。

朝早く起きる事も無ければ、夜更かししたってなんら問題ない。明日の朝だって何時に起きなければならないということはないからだ。では、実際にほぼリタイア同然な生活を送ってみてどう感じただろうか。

結論から言ってしまえば、完全に物足りなくなるということ。仕事に追われている時は、とにかく自由な時間が欲しい。寝る時間、本を読む時間、ボーっとする時間、久しく食いに行ってないラーメン屋にいく時間、とにかく自由な時間が欲しかった。

時間に満たされた生活を送ってみると、ひと月もしないで十分に満たされる。入院中、あれだけ食いに行きたかったラーメン屋も退院してだいぶ時間が経過してる割にはまだ行ってない。いつでも行けるし、もたれそうだからまだいいや、という具合に。

そういう意味では、人というのは無いものねだりの生き物というのか、わがままであると言える。実は満たされていないような毎日でも、よくよく考えていればその物足りなさが日常の底力に変換されていたわけだ。

無い時間を捻出しようと仕事を頑張る、早く切り上げる努力や工夫をする。今年の夏こそまとめて休暇をとってハワイにいくぞ、ヨーロッパ周遊するぞ!大きな目標を立てる事で、仕事も家事も勉強も頑張れたりする。逆に満たされると人は頑張らなくなる傾向が非常に強い。

戦後の高度経済成長期の成長というのは、焼け野原になって何もかも無かったから、少しでも豊かに便利に快適に人々が過ごせるよう努力を続けてきた、我々の祖先の力があったから今日の平和で豊かな社会は実現されている。

満たされていないことを嘆くよりも、今の自分を受け入れた上で次に自分はどうしたいのか、何をしたいのか・するべきなのかを知る必要がある。それを踏まえた上で過ごす日常は実は足りないようで、非常に満たされていると言えるのだ。

ないない尽くしの日常でも、驚くべきほど実は満たされていたことに気がつかされる。長期休暇・長期療養をしていてもまたどこか物足りない感じがしてくるのは、それはまたあの忙しかった仕事の時間に戻りたいという自身の合図と言える。

PS

どんな時が一番幸せ=満たされてたのか?って考えたら、仕事終わって風呂入っって一杯飲んで飯を食う、そんな時に充実感を人は感じるのではないだろうか。明日の朝はまた早いけど、ちょっと一息ね。この間合いが幸福・充実をワタシは感じやすかった。寝る前に本を読んでてそのまま寝入ってしまった時などもw。

つまりは健康である程度、元気で自由に動き回れるいつもの毎日こそが一番満たされ充実していた、というワケだ。