日本人は殆ど全身筋肉痛のような生きかた

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会社や学校、またはご近所付き合いにしても人はどこで生きていくにしろ、一定の人間関係である人目を気にしながら生きている事に気がつかされます。特に都市部で仕事をする人、学生生活を送る若い世代にいま非常に多いという、人目を気にしすぎた日常的な気疲れの負担を減らすにはどうするか、真面目な人ほど時に猫のような気ままな生き方もあるのです。

真面目な人ほど気疲れして損をするような立ち回りでは何ともやるせないもので、凝り固まった生き方という強い筋肉痛を今一度てきとうに生きてこそほぐす必要性が急がれるのです。

縛られ・生き急ぐのは究極のM

学校での生活、会社での生活にしろ「~しなければならない」という括りで私たちは気がつけば生活しています。明日は大嫌いな苦手である数学の小テストを何とかしなければいけない、あさってまでに納期の仕事を片付けなければいけない、など何かしらに終われて生活しているのが私たちの日常ではないでしょうか。

でも、本当にそうなのでしょうか。自分で自分を~しないといけない、で縛っている事に気付くとグッと力が抜けます、そして今までなぜこんなに慌てふためいていた、忙しく生き急いで生活しているのか、人生の進行方向を大きく見つめなおすと言う素晴らしい気付きがあるのです。

生き急げば急ぐほど自分は苦しく、そして時に雑に生きてしまいます。スピーディに仕事をこなすのと、生き急ぐとは全く別物で後者はむしろ嫌々に近い感覚になっているのです。

時には猫のようにてきとうに暮らす、あなたの居場所

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追われるように生き急ぐ必要もなければ、絶対に~しないと、ということも実はありません。人の目があなたを固定観念で縛りつけ、あなたを苦しめている事になっているのです。

どうか今一度自分を解き放いて見るのです、私は自由に生きていい、好きに暮らしていい、何者にも縛られていないんだな、と。誰も居ない所なら口に出して見ても良いです。自分を縛り付けていたのは、実は人の目ではなくて、自分の懲り固まった思考が犯人だったんだなと気がつかされます。

猫のように、大きなあくびをしながら、時に人に甘えながら、助けてもらいながら、何が何でも自分で何とかする、と思わずにどうか力みきったあなたの全身の力を抜いてみる事が、最もあなたらしく、てきとうに生きるという意味の本懐なのです。