2カ月の入院生活を経て、健康である事の大切さとありがたさを身をもって痛感する事が出来た。その一方で道具について注目してみたい。車いすや杖って自分で「使った事がある」人ってどれくらいいるだろうか。思った以上に少ないのではないだろうか。

まずは車いす。街中や病院などで見かける事が出来るが、これほど実際に見ているのと乗ってみるので大違いな器具もない。前置きにはなるが、車いす自体は非常に良く出来ているのは間違いない。見た目以上に小回りも効くし、扱い方をしっかり身につければこれほど頼りになる器具もないだろう。

ただし、弱った身体で慣れない乗り物を扱うのは難しかった。最初はワタシの場合は平衡感覚もふらついてたので、まっすぐ走行するのが難しい。両輪をほどよいバランスで回さないと、うまく真っすぐには走ってくれなかった。また、病棟の車いすがいわゆる「年季もの」だったため、クセがついていたのもあった。

看護師さんも扱い方は教えてくれるが、いざ実際に動かすのは自分なので感覚的に身につけないと思うようには動かない。自動車を運転してる方は、比較的取り扱いが上手い方が多いと言ってはいたが、なかなか実際にやってみるのではそう簡単ではない。しかし、考え方は一緒で内輪差とか考えつつ動かすと思ったよりピシッと決まる。看護師さんの言わんとすることは分かる。

特に苦労したのがちょっとした傾斜。2本足で歩いている時では何ともないようなちょっとした傾斜でも、車いすだと相当負担に感じる。結構腕に力を入れないと前に進まないのだ。これは病院にあるコンビニの入り口は、見えにくい傾斜があって退院後に歩いてそこを通過したら、恐ろしくなんて事のない坂だった。

健康である事と、普通に2本足で歩ける事のありがたさも実感したが、それ故に街中でちょっとした交差点等の段差で苦労している車いすの方など見た事がないだろうか。ああいった段差は非常に車輪が引っかかりやすく通行しにくい。なので、困ってそうな車いすなどの方がいたら積極的に手伝ってあげて欲しい。

前輪をちょっと持ち上げてくれるのを補助してくれたり、後ろからグッと押してくれる事でも相当違う、助かるからだ。実際に乗ってみないとこの大変さは理解できないと思う。我々のタクシー業界でも車いすの取り扱い乗車については改善の余地がまだまだある。

特に病院などからは車いすでのご乗車希望の方は当然いらっしゃる。ここ数年で車いすのままでも乗車できる「JAPANTAXI」という車種も多く街を走るようになったが、現実問題として乗車拒否が発生している、それはなぜか。

街中の駅や路上で付属のレールを繋げて、車内シートを折りたたんでお乗せするまでに時間を要してしまう。そして、レール(スロープ)を車外に出すとき、それなりのフラットなスペースが必要であること。駅のタクシー乗り場などでは、なかなかそれが出来ない事がある。

(↑トヨタ自動車によるJAPANタクシーの車いす乗降法の動画・参考資料)

お乗せするまでに時間が掛かり過ぎて、後ろの車両をせき止めてしまい乗り場が動かなくなってしまうなど、様々な理由がある。そして、車いす対応に習熟した乗務員が少ないので現実問題として乗車拒否や、今までのように車いすを折りたたんだ上でご乗車となってるケースが多々あること。

中には降りれない方もいらっしゃるので、スロープ対応の車いすでないと困るというお客さんもいる。誰でもどこでも気軽にご乗車頂けるTAXIにはまだまだほど遠い現状があるのだが、そこはTAXIや福祉業界と自動車メーカーとの緊密な意見交換など活発なやり取りから、より良い車両の開発に繋げてもらいたい。

現状では、日産型UDタクシーの方が乗降に関しては短時間かつスマートな乗降は実現している。だが、乗り心地などの観点から言えばお客さんはJAPANTAXI=トヨタ型を望まれる方が多いというのは、現場で肌で感じる。


車いすのお客さんで街中でパッと手を挙げて頂いて、場所によってはスロープが使えず対応できないケースもあるが、それでも遠慮なく手を挙げてご乗車頂きたい。車や道具が対応できなくとも、人の「対応」次第でご乗車は出来るからだ。

前述のJAPANタクシーは、客席は既存のセダンよりも高めに設計されているので、乗務員が支えて補助しつつお尻を先に後席に乗せてもらって、乗せたお尻位置を軸に右にクルっと足を回せば(もちろん補助しつつ)、思ったより容易にご乗車して頂く事は可能である。もちろん、セダン型にも通用する乗り方だ。

車いすだからどうせ無理だろうと諦めずに向き合って頂きたい。TAXI業界のみならず、他の様々な接客業・お店の中の段差などの対応なども、どんどん店員さんなどに相談して頂きたい。段差や狭い箇所があっても、人の工夫とちょっとの思いやれがあれば対応は大抵は可能なのだ。

これからは、さらに色んな施設などでもバリアフリー化は進む。設備の充実も大切だが、周囲の人の「理解」がさらに求められる時代だと言える。ワタシは実際に車いす自分で乗るまで、理解の無い部類であったが大いに反省させられた。

車いすという器具自体はどんどん小型・軽量化が進み、さらに種類にもよるが非常にコンパクトにも折り畳みが可能となっている。補助する側から見ても、思ったより「大変ではない」事が多々ある。実際にお客さんの車いすを畳んででトランクに入れた時に、驚くほど軽いなと思ったケースは枚挙にいとまがない。

キレイごとではなく、ちょっとの親切が見知らぬ誰かを助け、それがどれほどありがたい事か、自身が車いすなどを使う身になれば容易に想像できる。片杖持って出かけていた時でも、電車・バスでどれほど席を譲って頂いた事か(汗。世の中、まだまだ捨てたもんじゃない。見知らぬ人の親切って、その場のほんの一瞬の事なんだけど、思った以上に忘れないものだ。

余談ではあるがそんなささいな一期一会の人からの無償の親切も「袖触れ合うも多少の縁」か~、と以前は思っていたが正しくは「袖振り合うも多生の縁」。道と道で人と人の袖が触れ合うような一瞬の出来事も、多かれ少なかれその人とはご縁があるのだよ、ということわざなのかと思いきや大間違い。

「多少」ではなく「多生」。多生とは仏教の言葉で何度もこの世に生まれるということで、輪廻転生という言葉や生まれ変わり、というような意味が当てはまる。道でちょっとでもすれ違うだけの人と人との縁でも、それは過去の世で何度も繰り返された縁によって生まれたもので、単なる偶然ではなく縁がもたらす必然的な事だよ、というような深~い意味合い。仏教の基本理念でもある「因果応報」という全ての物事に通ずる考え方からのことわざだった。

PS

親切心を出して断られても恥ずかしい事では無いので、ぜひともその心意気を表に積極的に出してほしい。ワタシもそれは実感したので、席を譲られたら遠慮なく座らせてもらった。その方が、譲ってくれた方譲るだけ譲って、また座りにくいような空気感や「余計な事を言うのは止めよう」という思いをして頂かなくても済むし、全然余計な事では無いのだ。

テレビなどで見るパラリンピックの車いすの選手の動きは、もはや神ががってる。もちろん、特殊な車いすではあるものの、二の腕の発達を見ると相当な努力を積まれているとよく分かる。実際に使用してみると、本当に見え方が180℃変ってくる貴重な体験だった。