「100日間おなじ商品を買い続けることでコンビニ店員からあだ名をつけられるか」という本がある、ちょっと題名長いけど。

noteから出た話が書籍化したものを読んだ。あだ名が付くと言えば付くし、あなたのキャラ一つで何とでも変わるという事だ。

本の結論も大まかに言えば、そういったカタチではある。その過程の細かな人間模様と割と人に「共感」を得やすい描写が、この本の最大の魅力ではないだろうか。

著者の住まいの近隣の複数のコンビニ店で「ビスコのみ」を基本的に毎日購入すると、店員さんからあだ名が付くだろうか?という、大きくも小さい実験を綴った一冊。

限りなくリアルな描写が何よりもこの本の最大の魅力だ。かくいう、ワタシも同じ商品を毎日買ってた訳ではないが、過去に毎日仕事帰りに通ってたコンビニはあった。

フランチャイズ店でオーナーがお店を手放したために、今ではもう無くなってしまったお店ではあるが、その当時の事をよく思い出す。

どこの店員さんにも共通していると思われるが、基本的に人は他人をよく見ていないようで、無意識のうちによく見ている事は多々ある。

それは生物の本能的な警戒感から来るものなのか、よほど何かに集中・没頭して作業していない限りは、その他の人が視界にはいる。

ワタシも、かつて仕事帰りに当時勤めていた路線バスの会社の制服で、休日を除くほぼ全ての日の一年のうちの300日近くは、そのお店に立ち寄っていた。

制服に名札も付いていた事もあって(懐かしすぎる)、お店のオーナー夫婦とレギュラーバイト陣から、ひと月くらいであだ名ではないにしろ、名前を覚えられる事はあった。

反面、名前と行動と買うモノのパターンを、覚えられるような気もして、妙な気恥ずかしさもあった。

人間は知らない人でも、会うごとに回数を重ねていく毎に、自然とその人に対する警戒心の壁が、会えば会うほど低くなる。

どんな慣れない職場などに転勤したり、または転居したりしても3カ月もあれば環境自体には慣れてくる。

もちろん、自分の馴染もうとする努力もある程度は必要だが、それでも半年もすれば、その人間関係にしろ土地の雰囲気と街に慣れてくる。

本当にこの職場(学校)に馴染めるのだろうか、この街でやっていけるだろうか?

一抹の不安はあるかもしれないが、それでも慣れる。人間ってそういうものらしい。

それでも馴染めない、合わないのであれば無理にその環境に馴染む必要は無いという事で、転居するなら職場を変えるなり何が何でも馴染もう、と思わなくていい。

肝心なのは、どちらでもいいと思えることなのだ。

現代的なコンビニというと殺伐とした雰囲気もあるのだが、こういったお店にもじつは義理や人情のようなものは存在する。

一昔前では、それが個人の商店であったり、その街の商店街のおじさんやおばさんであった。

カタチは変われど、人間の中身自体の本質的な部分は変わってないように思う。

ヤマザキのデイリーマートにその当時通ってたけど、大学生の兄さんだったか。

非常に馴染みになって、いくらか会話もするくらいだったけど、3月の卒業の季節に「来月から就職するので今日がラストなんです~」なんて所から、当時よく買ってたレジ横のメンチカツ「廃棄しちゃうのもアレなんで、良かったら」と、おまけでくれたり。

その兄さんとやはり同い年で、大学生だった女の子もいた。

就職活動に苦戦してて、余談話で自分の時の就職活動の話しとかをして、励ますような事を会話したり。

それを覚えててくれて最後に、お世話になりましたってお客のワタシにまで挨拶してくれてたり、何かしら人の輪は出来るものだ。

オーナー夫婦のおばさんも、地元の方で2回くらいバスにご乗車頂いた事もあったかな。

普段はお客と店員だったので、それが逆になり妙に気恥ずかしかったのも今となっては、些細なことながら全てが思い出となった。

この100日同じ商品(ビスコ)を買い続ける~、の本を読んでそれらを思い出せたのが一番の良かった事だ(笑。

あれから10年以上も経過するけど、あの当時の兄さんや姉さん、オーナーご夫妻は地元の方だったけど、元気かなーと思い出される。

今のタクシー乗務員やるようになっても、常連のお客さんともちろん顔なじみにもなるし、相性が合えばお客さんから、指名されるようにもなる。

コンビニだけでなく、人と関わる商売をしていれば、大なり小なりこのような、ちょっと暖まるような経験は、誰しも覚えがあるのではなかろうか。

これからさらにオートメーション化が進み、人と人の関わりが薄くなる可能性はあるが、姿カタチを変えても、人との関わりは無くならないだろう。

それが、どのように形を変えるのか、楽しみに過ごしたい。