
友人・知人・先輩・後輩etc、様々な人間関係と日々ワタシたちは付き合いを経ている。
「マウンティング」という行為は人間関係においても、非常によく見られる。ここで言うマウンティングとは、人より優位に立とうとする。
相手を知らず知らずにコントロールしようとする、などが該当する。
相手にマウンティングされてるな、と思わせてしまったら、それは相手から見れば優位に立とうとしている=マウンティングということ。
日常から相手に知らないうちに「そう思わせる」言動が既に幾多もあったということだ。
このような機会をストレスに感じ、知らず知らずに不満を強く抱えて、いつしか心に穴を空けてしまう事も実際に起こり得ている。
そんな時ほど、相手から離れよう。
身近な友人・知人・先輩・後輩など、こういった関係ほど、人は知らず知らずに自身を優位性を保とうとしまっているのが恐ろしい。
優位性=優越感と取っても構わない。優位・優越に立つとどこか人は満たされた気になる。あくまで自分が「満たされていると勝手に感じているだけ」に過ぎないのだが。
その構図に気がつかない時が、長くなればなるほど、関係性は終焉をむかえる。
こういう時ほど、静かに離れるしかない。距離をあける事が最善の解決策だ。
もっとああしよう、こうしよう、とコミニケーションで悩む必要は無く、同じ土俵に立ち勝負する必要もない。

相手は知らずのうちに、マウンティングをする事でしか、自身の存在価値を示せないのだ。
だからこそ、いま一度黙って距離ををおこう。それでもダメなら、その場から去る。
やり返す、仕返そうとは間違っても思わない事だ。
PS
何が絶対という事がないように、自分が絶対という真理もない。
それが分かれば、優位性や相手をコントロールしようという発想は自然と消える。
自分と他人の課題を分離する事を理解し、求められれば手を差し伸べる、時に自分も人を支え助け合う。
何をアホくさいと思うかもしれないが、人は一人では生きて生けないからだ。
どこかの知らない誰かに、時として命を助けてもらうような事が起きるかもしれない。
自然界における砂漠や大草原の中で、生物イチ個体だけでは生きて生けないのと思時用に。
共同体感覚と課題の分離、アドラー心理学の本に記されていたが、そのあたりの人間社会の真理をついた問いではないなのかもしれない。