今のワタシにも言えるのだが、「何がやりたいか分からない」時こそ、自分のストレスが、最小限になるような選択肢をすればいいと思っている。

この何がやりたいか分からないは「非常に曲者」で、考えれば考えるほど、やりたい事が分からなくなる。

7~8年前に初めてそのような事態を経験しているが、次の道を見出せるまでに、その時は約1年かかった。

むしろ「何がしたいか分からない」を、たった1年で見出せたのは幸運だったんじゃないか?とすら思う。

それで、今どうか。

諸状況や身体の状況もあって、進路を変えざるを得ない事態にあると言える。

前回の経験をも踏まえると、無理に何か「答え」を出せば出そうとするほど、確実に答えは出ない。

よって、自分の状況が変えられず、毎日悶々と過ごす日々にも嫌気がさし、何よりも精神的にジワジワとダメージを受ける。

この状態を回避する為に、何をするべきかは決まっている。

「無理に答えを出そうとしない」事と、「何かをやりながら」毎日を過ごすこと。

後者はワタシの性格が、深く関わっているかもしれない。

何もしない現状で、時間だけは確実に過ぎていくという、妙な焦りが精神的に揺さぶられる。

ここは人によって、考えが分かれる所ではあるだろう。ならば、ワタシは何でもいいから、働きながら考える事にした。

稼ぎや雇用形態にこそ、満足出来る状態ではないにせよ、何もしない事で余計な不安を考える事が、一番よくないと思った。

もちろん、じっくり考えた末に行動に移したい人もいる。それも正解だ。

何かをしながら、考えながら働くのがワタシにとって、ストレスの少ない選択肢だった、という事だ。

何が言いたいか。

動きながら考えようorじっくり考えてから動こう、というように、これらの行動だけを簡単に諭す事ではない。

自分にとって「ストレスの無い選択肢でいこう」と、言いたいだけだ。それは、答えが人により全然違うんだよ、その人じゃなきゃ分からんの。

ワタシも齢30代後半ながらも、色んな本や実体験で得られた事実は「人生はロングラン」だということ。

一生懸命ダッシュする時期もあれば、ゆっくり歩く時期もあって良いし、道端にドカッと座り込んで、休んでも構わない。

何がやりたいか一向に分からない、そんな自分にモノ申すなら、こういう時ほど自分を追い詰めるなと。

ストレスのない選択肢「でも」いいんだよ、と言いたい。

こういう状況ほど、メチャクチャ真剣に考え込んじゃう人、多々いると思う。

前回この状況に陥った時、

「これはもう、禅問答や哲学的な問いだな」と思った。

考えたって、すぐに答えなんて出やしないんだよ、ってこと。

PS

だから、焦らず追い詰めず、何かやりながら考えてもいいと思う。

より、自分が楽な選択肢でオールOKだと本日は述べたい。

生きてさえいければ、いいんだから。