張りつめた糸は想像以上に切れやすいのご存知?

コロナ禍・経済不安などテレビや新聞の報道を見るとこのような報道で
溢れかえるので、ネットやニュースなど見るのを控えている人もいると思う。
こういう受難な時代だからこそ、精神的にどう構えれば強く生き抜けるだろうか?
そんな質問を頂いたが、もうこれは答えはシンプル。
「適当に生きよ!」
生活や子供にお金が掛かる、もっとお金を稼がなきゃ!
次のプロジェクトを何と成功させて一歩上のポジション(出世)に上がりたい!
色んな人には事情や欲求があるが、
収入上げること・ポジションを上げる事だけに人の意識は向きがちになる。
どう楽しみ満喫し・どのように生き抜いていくかの方が
長~い目で人生を見た時は、よほど重要である。
昨年まではただひたすらがむしゃら一生懸命自分なりにやってきたが、
どこか歯車が狂うと一瞬で崩壊するので、ほんとラクに無理なく生きよ!と思う。
極論だが、仕事やお金が無くなっても、その瞬間に死ぬわけではないからだ。
一生懸命すぎると心か身体が悲鳴を上げる事実

人は何の為に最終的に頑張るかというと、生活するため・生きるために
毎日働くなり自分の仕事をすりなり、何かしら活動をしている。
頑張るのは良いにせよ、報酬やその成果・役職の向上だけに意識が向き過ぎて
いつしか人は生活の為・生きるためを飛び越えて
自分の欲求を満たすためだけに働くようになってしまう。
そうなると色んな自分の側面で支障をきたすようになるので、その点を最大限に注意したい。

昨年のワタシがまさにそうであったが、
体調を崩すと普段当たり前に出来ていたことが出来なくなる。
ケガで2カ月入院したが、やはり不便なことやストレスも相当たまるし、
今後について生き方・働き方含めてこのままで良いのか?真剣に考えさせられもした。
普通に働くこと、買い物に出かける、仲間内で飲みに行くなど
今まで当たり前だったことが、
どこか遠い日の出来事になってしまう時が急に訪れる事がある。
そうならない為にも、日常をいかにどう過ごすかは非常に重要視される。
明らかに言えるのは、
日本人のほとんどは必要以上に頑張りすぎ&真面目過ぎるということだ。
適当が許される社会ならとっくにそうしてるわ!

精神的にもっと強くなりたい!と誰しも一度は思うことがあるだろう。
人間そんなに常に心が安定ししているわけでもなく、
雨の日も晴れの日もあるわけだし、それら全てひっくるめて人生である。
日常の生活、お金のこと、仕事のこと、何気ない数字に追われることで、
本来自分はどうしたいのか、
どう進みたいのか忘れてしまいがちだ。
だからこそ、精神的に強くなろう・生き抜こうと考えるよりも力を抜いて、
今の自分に出来ること、出来ないことをハッキリさせてあげる。
それを見つけつつ、自分にやれることだけ日々こなしていく、
良い意味での適当な生き方はあなたのこれからの行くべき道筋を
改めて見出してくれる、そんな生き方であると言える。
強く生き抜きたいからこそ、適度に=適当に生きよう。
疲れたらサボる人生も味がある!

どんなに先立つ思いが強かったとしても、確実に出来ることはまず一つ。
心身が健康であること、ここは必ず整えるるべき!
他人の想い・願い・願望・不安、それらを自分の考えと一緒くたに扱わない。
人は人の考えがあって、あなたにはあなたの考えや思考・適性が必ずあり
そもそも同じであるわけがないからだ。
精神的に強くなることも時に求められるかもしれないが、
それでも自分はどうしたいのか、どう生き抜いて行きたいのか
そちらの思いを最優先にしてみるべきではないだろうか。
不安にさいなまされて自分の進むべき方向性を見失っても、一度立ち止まればいいだけだ。
生きづらいと感じた時こそ、適度にゆるく=適当に生きよ!