SNSは自慢と他人比較の根源?うまく付き合え!

今日はこんな質問を頂きました。

「便利すぎる世の中、繋がりやすすぎる世の中、何だか結局窮屈です。こういう時代こそどんな生き方が望ましいでしょうか?」

非常にザックリとした問いではあるものの「時代の閉塞感」というものを

如実に現わしている質問のように思えてならない。

世の中、便利になりすぎた。

PCやスマホで簡単に情報が手に入る、人と繋がる、副業稼ぎも出来る、何でも出来る。

色んな選択の地盤となるものが簡単に見聞き、

調べられたりしてあたかも何でも知った気になり達観してしまう。

簡単に調べることは大事なのだが、それによりいとも簡単に諦めてしまうクセが

ついてしまったような気がしてならない。

「ああ、そういうことか。おれには無理だな、合わないわ」という具合に。

昨今流行りの副業などでも「最高月収〇〇〇万円!」とか人の良いとこしか

上がらないSNSなど見て何が得られるだろうか。

明らかにワタシたちは情報過多な時代に振り回されている。

いや、自ら振り回されにいっているとしか思えないのだ。

色んな物欲の断捨離が世の中では流行っているようだが、

情報の断捨離もあって良いように思える。

明らかに情報肥りしてしまいすぎて、

精神的にどこか重く追い詰められてしまう人も少なくないようだ。

一時代前のように、情報が無さすぎることを改善しようとした結果は、

良い情報・悪い情報を自分で吟味する力が非常に問われる時代になったということ。

とはいえ、簡単に物事の真理や判断力を高めることは簡単な話ではない。

だからこそ、情報を自分で遮断する=断捨離してスッキリすることが求められる。

アナログ人間も大いに上等!情報を吟味せよ

ワタシはPCなどはもちろん現代的な情報発進をさせてもらっているが、

情報を得るのは一部のSNSやネットとほとんど本だけ。

ネット情報にも混乱し始めイライラする時もあるので、

もっぱら最近は本が多いと思える。

他にはテレビも疲れるのであまり見ずラジオで何か作業しつつ

報道を聞き入るようなスタイルだ。

完全にアナログ人間に戻りつつあると言える。

こういう時代だからこそ、情報の取捨選択が強く求められるのかもしれない。

自分の思いと、内なる自分の好みや本質的な好き嫌いは全く異なることが多いので、

自分が必要だと思ったことでも、

脳や自分の内なる声ではそれを「欲しない」ケースは非常にある。

作業が進まない、良いアイディアがなかなか出てこない、そもそもイライラするなど。

自分の心ではやりたいくないことをやろうとしているから、そのイライラ感が堪えないのだ。

この稼げない時代に本業一本じゃやってけないよ?

それもそのはず、本業一本だけでは家計の屋台骨を満足に支えることが出来ない。

何か自分で出来るような副業はないだろうか、

色々探した試すもどうにもこうにも不発。

世の中の情報に翻弄されている、まさにど真ん中とも言える状況だ。

何かをやろうという立派な志があろうとも、あまりにいらない情報が溢れかえり、

結局、自分にとっての真に知りたい情報にたどりつくことすら出来ない。

だからこそ、一度情報の世界から距離を置き、全体像を眺めてみるのも一つだ。

そこでそもそも問うてみて欲しい。

本当に自分は「それ」やりたいのかどうかを。

執着を手放し、今の自分の状況を振り返ってみる。

意外と悪くないことに気づかないだろうか、

何を無理して自分を成長させようとしているのだろうか。

そもそも本気で成長しようとしてるわけではないよね?

そんな問いかけをしている自分に驚かされる。

今の自分、意外と悪くないことに気がついた方がいい。

もっともっと、今あるものに改めて振り返ってみるべきだ。

向上心は大いに大事だが、上しか見ない生き方は必ずや足元を救われる。

ワタシはケガや長欠をすることで、何気ない今までの毎日や、

あれほど物足りないと感じた日常が、

どれだけ当たり前のことでなかったかに痛いほど気がつかされた。

五体満足、何不自由なく・制限なく生活できる自分がそこにいるなら、

間違いなくあなたは幸せだ。

お金がない、仕事がない、パートナーがいない、後から欲する悩みはあるだろう。

失ったものは簡単には帰ってこないことに気づこう。

今の当たり前は、全く当たり前でなく色んな偶然や奇跡の上に成り立っているということを。

PS

意外と気づかされること、多いと思う。

だからこそ要らない情報に流されずどんどん断捨離をしよう。

厳しくつらく思い通りに行かないことも多々あるだろう。

それでも越えていかねばならない、時代という名のこの河を。