
表題のようなことをフと思い経ちました。
「この感覚はお金どうこう…じゃないな」というもの。
キレイごと抜きに社会と関わりを持つことって
精神的にも非常に大切なんだなって思いました。
ワタシが貧乏性?なのかもしれないけど、
何やかや日中働いてある程度疲れて帰宅します。
猛暑の日中で営業やら所用で外回り。
日が落ち始める夕方の退勤時間帯だってまだまだ外は暑い。
確かに余計に疲れる要素はてんこ盛りな今季節なんだけど、
働いて帰宅するとどこか安心するのはなぜだろう。
何もしない日の夕方は何となく
「今日も大したこと出来ないまま終わっちまったな」
というような焦りもあるのだけど、
働いた日の夕方は精神的な充実感が非常にある。
ヘルプ=手伝いで働いてる今ですらそう思うのだから、
やはりそこはお金どうこうの問題ではないのだ。

どんな形であれ、社会と一定距離で関わることで
心が安定するという効果は確かにあるらしい。
小さな日々の充実感ってそういう所にあるのだな、
と、フと今日は感じました。
どうだろうか、万が一にも自分に不労所得というものが
莫大にあったとしても、何かしら働くだろう。
お金どうこうではなく、
単純に「この仕事したい」というものをやるだろう。
もちろん、現実問題で収入の良し悪しは無視できる所ではない。
ただ、給料の良し悪しはあれどやりたいことはやるだろう。
小さな充実を見つけ、夕方や夜はどこか心満たされたかのように
「今日もよう働いた=動いたな」と思える一日を過ごす。
小さな当たり前がキレイごと抜きで
実は一番幸せなんじゃないかなと思えました。

そう感じられたのは、
こうやって一度社会から距離を置いた今の状態があるからだ。
そう思えば、昨年からの一連の事態も人生経験としては
非常に有益なのだなと思えるように、ようやくなってきました。
PS
今日もお疲れさんでした。