「生活するため」だけでは苦しい、働くことのホント

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学校を卒業すると、大抵の人は何かしらの職に就くでしょう。もちろん、自分で仕事を開発して自営という道も「職」に就くになります。

しかし、その根底に人生の大半は働くことに時間を割くことになります。

なぜその膨大な時間の大半を人は働く事に充てるのか。単なる「生活のため」だけなのか、考えて見ます。

漠然と働くから息苦しい、自分がやりたいからやる働く

生きていく上でもちろんお金は必要です。生活するためにお金が要る、私たちはそんな理由から何となく漠然と日々働いているのではないでしょうか。

来る日も来る日も、人によっては特にやりたい仕事ではないけれど、仕方ないから収入の安定の為に何となく働いている、家族を養うために頑張っているのかと思います。

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私もかつてはそのど真ん中でしたが、どうにも心苦しいというかやる気が出ない、そんな状態に陥ってしまいます。

働くとはなんだろう、「なぜココまで苦しい思いして働くのだろう」という疑念が消えません。その答えは「自分のため」にありました。

やりたいから、時に人の為、働く理由は常に単純明快

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生活のため、と理由だけをいったん置いておきます。その理由だけを外すと何となく、自分がその仕事に就いた理由が浮かんできます。

結局、いま自分がその仕事をしているのは自分が「楽しそう、やってみたい」と思って選択した結果にあります。

もちろん、楽しいという希望だけではありませんが、「これならやれそうだな」という理由も含まれます。

少なくとも自分がその職業に可能性を感じたから、その部分は無意識に選んだといっても過言ではないのです。

「やってみたかった、やりたかった」という単純明快な理由を私たちはいつしか、かき消そうと・忘れ去ろうとしている事に気がつかされます。生活の為に働くのはもちろんのこと。

「自分がやりたかったから、楽しそうだから」やってみた結果が今の働くに繋がっている事実を思い起こすだけでも、いくらかラクになれます。

自分以外の誰かの為に働く、という理由だって「根底にはその人を笑顔にしたい、少しでも幸せに」という楽しい感情があるから、「なぜ働く」は成り立っているのです。

かくいう私も、行き詰り引きこもりに

けど、どうしても働きたくない人も居るんですよ、という意見も多くあるのです。

かくいう、私も全てを放棄して働かない時期がありましたので、非常によくわかります。

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お金が底を尽きそうになると、人間は本能的な危機感から「自分を助ける」動きを身体の底から湧き出てきます。

私も、それくらい危機感を感じるまで動けない時期があり、引きこもりに近い状態でした。

働きたくないけど、働く。その中で消去法でも良い、これなら出来そうを探すだけで、人生は思わぬプラス方向に転じ始めます。

消去法って実は結構自分を守ってくれると同時に、適切な選択を与えてくれたりもするのが、人間の深い不思議であり素晴らしさです。

まとめ

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「なぜ?」って時に自分を苦しめる問いかけ。
お金の儲けの為に働く、
というのも「お金を増やす」事が
楽しいから働く。
地下水脈の根底では
「楽しい・やってみたい」で
地下深い所で繋がっているのです。