行き詰り・何故か息苦しいと感じる人の人生の歩き方

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「禅が教える・人生という山のくだり方」書評。
人生について論じる本はたくさんあるものの、人生という山のくだり方という焦点の充て方は珍しいと思います。

禅の観点から曹洞宗建功寺のご住職であられる枡野俊明氏の書き下ろし。

人生なぜこうも息苦しく思い通りにならず辛いのか、一つの山を登ろうとするだけが人生ではない、どうやって下山するかも大切なこと、登山は無事に下ってこそ完結する、それこそが人生ではないか。

禅・幸せとは得るものではなく、心が感じ取る

様々な論点から述べられている禅の道から見た人生について、数ある中で印象に特に残ったものを真っ先に挙げるなら、「幸せとは自分の心が感じ取るもの」という点です。

生き方全ての根底に流れている、地下水脈のような大切な存在である、人それぞれにある「幸せ感」です。

たとえ、今自分がどんなに不安で不満で一杯で幸せに満たされたいと考えても、自分が幸せだな~と心のアンテナが感知する事が出来なければ、幸せは感じ取れないというもの。

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不安や不満とは、自分の些細な日常に起因することがほとんどです。

仕事で頑張っているのにお給料が上がらない、それどころか現以上維持か下がる一方で一向に評価されない自分を嘆く、こういった一例はよくある事かと思います。

しかし、私たちが望むようにお金や仕事や恋愛やその他プライベートが、全て上手くいったとしても、幸せだなと感じ取る心が無いと、どんなに満足しても「人は幸せにはなれない」とも言えるのです。

お金・物質的な側面だけでは幸せは感じ取れない

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お金やそれに関係する物事や物質的な事が、全てにおいて幸せに起因するならば、世の中で大金持ちな人はほぼ全てが幸せと感じているでしょう、とも説かれています。

現実としてお金は無いよりあった方が良いに越したことはありません。

幸せになれるか否か、という所において必ずしも直結するワケではない、ということを知る必要性があるのです。

かくいう私も、一攫千金を夢見つつ新しい分野へ仕事を始めようと勇んで挑戦しましたが、結果的に何もモノになりませんでした。

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自分が本当にやりたい事をやらないと、いくらお金だけ手に入っても幸せではない、それどころか好きではない事をやっている毎日にウンザリしてかえってストレスが溜まり過ぎ、とてもじゃないけど長続きなどしないという事実です。

いくらお金的に・物質的に恵まれてもストレスだけ溜まって表面的に幸せそうに見えても、自分の中身が困窮しては意味がない。

かつて自ら想像していたお金と物質的に向上して幸せを勝ち取る、という方程式は脆くも崩れ去った幻影でした。

お金も確かに大切だが、それだけじゃ幸せはやってこない、という現実を私たちは理解する必要があると言えるのです。

ほろ苦い経験、幸せ・楽しさの押し売り

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そうえいば、昔に友人が絶対楽しいからやってみろ!とやたら勧めてくるゲームでRPGの冒険モノをやったけど、

熱心に勧められる割に自分は乗り気じゃなく、冒険モノの長編ゲームは面倒くさかったのであまりやりませんでした。

案の定、かなり長い時間を割いてプレイしたのに全く楽しいと思わなかったこと。

子どもながら、自分の趣味じゃないものを楽しい・幸せだと感じ取る事は出来ないという、貴重な経験です。

幸せの押し売りの「し過ぎ」も気を付けねば。

軽く勧められるくらいなら全然良いのですけど、半強制レベルは私のこのゲームの事例のようにあまりお勧めできません。

ファミコンジャンプがクソゲーだとか、そういう事を言いたい訳でもありません、一応(笑。

じゃあどうするの?

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やりたいことをやる、トライする。

何でもない日常の一コマで、幸せだな~と
感じられてる人は、
いま「心で幸せを感じ取れている」
そんな人だと言えます。

今日の晩酌の一杯目のビールを飲み干して
幸せだ、至福と感じ取れるならそれは幸せ。

久々の脂っこいラーメン・焼肉を頂いて
最初の一口目に「幸せだ」と感じ取れれば
それも幸せ。


ちょっとした日常を楽しめる心のゆとりが
あるか・ないか、それこそ幸せを心で感じ取れる
バロメーターなのです。

※もちろん、ラーメンやビールだけじゃなくて良いでしょうぞ