競争社会の末、私ら一体何が楽しくて仕事してますか?

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学校でも職場でも、欧米的な競争社会が日本でも完全に根付いてきたおかげで、平成の世では劇的な成長どころか、マイナス成長しているとさえ世間の風は厳しく吹いています。

競争社会が生み出した結果として、失敗が許されず、勉強は進路のことだけ、仕事は成果のみ、これだけをほぼ求められてきました。

一体、今の世の中何が楽しいのか?何が息苦しいか、など考えて見ます。

人に当たり散らすなら、最初から大好きな仕事をしろ

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ノルマ社会が定着したおかげで、世の大半のビジネスマンはあまりに疲弊しすぎています。

ゆえに、駅での電車の遅延、飲食店でのトラブル、我がタクシー業界でも乗客とのトラブルは絶えません。

一様にみなストレスを抱え過ぎているため、他者に当たり散らす事が当たり前すぎている、そんな事実があります。

ちょっとした相手のミスでカッとなってしまうようなこと、ありませんか?ワタシはあります。

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書きつつも非常に反省しなけれなならない事です。みながみなストレスをギリギリまで抱えているが故、どこかに吐き出すことでかろうじて、今の世の中は保たれている現状は改善されるべきです。

お客様相談室がどの業界であれど、毎日のように膨大な電話クレーム対応に追われ、相談室の方自体も疲弊しきっている事に気が付かされます。

他人を出し抜き、成果を上げて利益を出す、競争社会が行き過ぎたる産物を遺す事態に、私たちはどのように立ち向かえば良いのでしょうか。

人は人、自分は自分、時に助け合い認め合う社会に

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成果主義を全面的に否定する事はありません。ただ、行き過ぎた競争社会で世の中の人々がストレスを抱え心で悲鳴をあげ、言動としてストレスをかろうじて発散する。

あわよくば他者にさえ危害が及ぶ事はあってはならない事ですが、現実には起きてしまっています。

望まれる仕事のスタイルは、自分の仕事には責任は持つも、他者との必要以上の競い合いは蹴落としにも繋がります。

自分が自分が、という構図は状況にもよりますが、どちらかを犠牲にしてしまいがちです。一方で評価される方は良いでしょうが、蹴落とされた方はその後どうなるのでしょうか。

過度な成果主義のあおりこそ、今のストレス社会の温床と言っても過言ではないのです。蹴落とし合いになるような競争の行き過ぎは、これ以上進行すべきではありません。

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引き受けた仕事への責任は大事な事ですが、必要以上に信賞必罰主義にはしるのは最終的に罰せられた人が、また立ち上がる事が出来なければ、再びストレス・不満社会の土台となってしまいます。

蹴落とし合いだけでなく、助け合いと支え合いで、認め合う形こそこれからは望まるのです。

なぜか、必罰部分が大きくクローズアップされている組織が多いため、人は窮屈に不満に、とてもではないが伸び伸びと仕事をするなど、期待できない状況にあると言えるのです。

人は人で見守る、もちろん自分は自分のスタンスも大事だけれど、困った時、厳しい時こそ、助け合い、支え合い、見て見ぬふりだけの蹴落とし合戦は、もう辞めにするべきです。

後記・好きな仕事か儲かる仕事か

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以前の後記のタイトルのような質問を受けたことがあります。どちらも大事なのですが、あなたはいかがでしょうか。

どちらを選ぶにしても、人生としてトータルで見た時に「今を楽しむ」を基準にしてみると新しい発見があるように思えました。

ワタシは、好きな事を選んでいたつもりですが、それでもいつしか楽しい感覚を忘れていました。

それだけ、「今を楽しむ」という事は人に大きな生きる喜びと活力を与えてくれる、何物にも代えがたいものがあります。

これは今後も忘れないで、念頭に置きたいです。競争・成果主義のみの現代社会では見出す事は難しいです。

競争社会に馴染む人は良いですね~で、終わらせない世の中にしていきたい。馴染めなかった人もどうやって生き抜くか、そういう場をもっと広げ提供していくべきです。